- ALS: 筋萎縮性側索硬化症とはどんな病気でしょうか?
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筋肉がだんだんと動かなくなる病気です。
脊髄にある運動ニューロンに損傷ができて、脳から筋肉に指令がいかなくなると聞いています。
- ALSはどんな風に発症しますか?
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人それぞれなのです。
ある人は足が動きにくくなったり、手が動かなくなってきたり。
私の母は始めのころ「入れ歯」がおかしいと言っていました。
何軒も歯医者さんに入れ歯を見てもらいましたが、異常がありませんでした。
ろれつが回らなくなり、話づらくなってきて「これはおかしい」と自分で保健所に電話して相談しました。 - ALSになると生活は変わりますか?
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そうですね。急変します。急激な老化と例える人もいます。
今日できたことが、明日はできなくない。昨日まで持てたお箸が今日は持てない。
昨日まで何とか立ち上がっていたのに今日は立てない。私が職場にいた時、母から電話がありました。「立てない」と。
大急ぎで家に帰りました。
本当に立てなくなっていました。ご本人も、家族もできなくなっていくことを受け入れるのは大変なことです。
母が物を食べれなくなった時のことです。
「がんばったら食べられるようになるはず、
唾液を飲み込めるんだからプリンも食べられるはずだ」と思って、
看護師さんや医師が止めるのも聞かずに母の口にプリンを入れていました。今ではその危険性が良く理解できます。飲み込みが悪いと、食べ物が気管に入ってしまい肺炎を起こすリスクがとても高まります。
- お母さんがALSになって何が一番大変でしたか?
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一番困ったのは、制度のこともわからず、次に何をすればいいのかわからず、
明日はどうなるのかはわからず、誰に何を相談して、誰が助けてくれるのかわからなかったことです。一番助かったのは、保健師さんが、「杉並区に、ALSのお母さんを娘一人で看取られた娘さんが住んでいます。
会ってもいいと言ってくれていますが、会いたいですか?」という電話でした。Nさんは、快くお会いくださり5時間も私の疑問に答え、
この先どうなっていくのか、制度のこと、生活のこと、お金のこと、呼吸器のこと、介護タクシーのこと、病院のこと、
とにかく彼女の話を聞いてやっとなんとなく全体が見えてきました。
なんとか明日から生きていけるのかもしれないと、針の先ほどの光を感じましたが、不安が増えることもありました。
そのあとはとにかく一番にNさんに電話をして相談していました。 - お母さんに呼吸器をつけることにしたのはなぜですか?
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母は認知症も同時に発症していたので、自分で呼吸器をつける決断はできませんでした。
専門医は「ALSで認知症の患者さんは、呼吸器は不適応です」と言いました。
私は、何を言っているのか理解できずに、「不適応?」って何だろう。どういう意味か聞きました。
「不適応は、不適応です。認知症で意思のわからない人を24時間介護するのは本人も家族の大変ですから」と言われました。母は確かに、この言葉を聞いても車いすのストッパーをガチャガチャ動かして遊んでいます。
認知症です。私は意識が遠くなっていく感じでした。
呼吸器をつけないと、母はあと数か月で死んでしまうでしょう。
確かにその時の生活は大変すぎました。
いつまで続くかわからない大きな不安が毎日片時も離れません。
(母を殺して自分も死ぬのが一番早く終わらせる方法だと考えたこともあります。)
しかし、母がそんなに早く死んでしまうとは考えたことがなかったのです。
呼吸器をつけない?つける?どうしていいかわかりません。認知症なので、母の意思もわからないのです。弟は「呼吸器をつけてママが生きるのは、可愛そうだから付けない方がいい」と言いました。
その意見にも賛成です。どうして良いかわからず、私は人生の師として尊敬している先生に相談に行きました。
「治らない病気はない。医療は日進月歩だから、今は治らない病気でも、いつか治療が見つかる日が来るかもしれない。
その時に生きてなきゃダメなんだ」と言われました。「治るかもしれない?!」母がALSになって初めて聞きました。
絶対に治らないとお医者さんや関係者全員に言われてきたのです。
少し希望が心に芽生えました。
「呼吸器つけよう」と決断しました。
イメージは生活保護をもらって、ちいさなアパートで母と二人っきりで、母が亡くなるまで介護をする。
そんなイメージでしたが、それでもやっぱり生きていて欲しい。
「ママ、治療が見つかるまで、呼吸器つけて生きてね」私は母に伝えました。 - お母さんに呼吸器をつけたことを今どう感じますか?
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母は、2020年1月16日に亡くなりました。お葬式の後、ぼんやり母のことを考えた時、ハッとしました。
「呼吸器を母につけて良かった。呼吸器をつけずに母が亡くなったら、私は自分が80歳になっても90歳になっても、あの時呼吸器をつけていたら良かったのかもと私は一生後悔したことでしょう」
本当に呼吸器をつける選択をしてよかった。とほっとしました。
母のケアについて後悔することはたくさんありますが、
一応呼吸器をつけて治療を待つというチャレンジは、したのです。 - 事業所を始めたのはなぜですか?
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呼吸器をつけて24時間介護が必要になると、母のケアをしてくれるヘルパーさんが足りなったからです。
- 自分から進んで事業所を始めたのですか?
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Nさんが初めて話した時に「真由美さんも自分で事業所をやればいいのよ」
と言われたことがきっかけですが、言われたその日は、
「絶対やらない、介護の経験もないのにやれるわけがない。私なんかにやれるわけがない」
と心の中で完全に否定していました。
が、いよいよヘルパーさんが足りないのです。私は昼も夜も母につきっきりです。
ヘルパーさんを増やさないと、自分がゆっくり眠ることもできませんでした。 - ALSや難病の方を専門でやる理由はなんですか?
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始めはよくわからないので高齢者の方の介護もお受けしたことがありますが、
やはり全く介護の考え方や方法が違うのです。
ある時、ALSの患者さんの口に一生懸命食べ物を入れているベテランヘルパーさんを見たのです。
食べることが大切なのはよくわかりますが、ALSの方への食事は、なるべく誤嚥性肺炎を避けるために、
早めに辞めた方がいいのです。高齢者の方への食事の考え方とは違うのです。
現場のヘルパーさんたちは混乱するかもしれません。
私自身、高齢者の方の介護に詳しいわけでもありません。しかし、ALSの方の生活は、良くわかっています。
私みたいに制度とかいろんなことに慣れた娘がいたら、ALSになったばかりの人たちはきっと助かるだろうな、
と考えてはじめは「むすめ業」と心の中で言っていました。
事業所をやっていればそういう方々にお会いできます。