同情

ある日の午後

私は母と買い物に行くために、母を乗せて、慣れない車椅子を押していました。

道路は車椅子にとってはガタガタで、

斜めになっています。どうしても端っこに寄って行ってしまいます。

なんとか真っ直ぐに押せるように、冷や汗をかきながら、歩いていました。

その時、通りすがりのおばさまが、「お母様、大事にしてあげてね」と言われました。

その頃、母は認知症が進み、夜中も大声を上げて、眠ってくれず、私は睡眠不足と慣れない介護で大変で、この生活はいったいいつまで続き、どこへ行くのか、まさに地獄の始まりで不安だらけの毎日でした。そんな時、この年配の女性の言葉は、とても同情的に聞こえました。

同情された。

なんだかとても不愉快でした。心が冷たくなってしまいました。

彼女は、応援するつもりで言ってくれたのかもしれない。私の悪戦苦闘ぶりが伝わり、何か言わずにおれなかったのでしょう。今はそんな風に感じる余裕があります。

だけど、その当時は余裕なんかなくて同情された、と感じた時には屈辱感がありました。

私は、その時から、

人のことを同情しないと決めました。

気の毒だな、大変だな、可愛そうだなと感じた時に、何かできることはないか?と考えることにしています。

直接、何もできなくても、同情はしない。難しいことだけど、応援する気持ちと同情は何かが違う気がします。